国家が管理する陰陽寮の官人であった晴明は、平安の時代から陰陽道の傑出者としての名声を得ていました。そして時代を経るに従って、カリスマ性はさらに増したといえるでしょう。
たとえば『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』には、晴明が式神を使って蔀(しとみ)(板戸)を上下させたり、門を開閉させるという逸話や、草の葉を式神にして蛙を殺すなどという話が描かれています。
またその他にも、人の前世や先々に起こることを看破したり、呪術から要人を守護したり、京の都に結界を張ったり、魔物を調伏したりという逸話も語り継がれています。
そうした伝承は誇張された話であると見る向きもあるかもしれませんが、晴明が使っていた術じたいは現在にいたるまで受け継がれています。
それを正しく継ぐ者こそ、晴明の血脈に連なる陰陽師、安倍成道なのです。
晴明は八十五年の生涯を閉じるまでに、日本の様々な場所に術を施してきました。
鬼や物の怪を塚に封じ込め、国の要所となる聖地に結界を張るなど、数々の霊的な仕かけを施すことで、この国の守り人として多大な功績を残してきたのです。
晴明が施した結界や塚などは、千年の時を超えて、現在でも効力を保っています。
しかし彼が遺したもののなかで、後世にもっとも大きな影響を与えたものは、直系六家の存在です。
自分が亡き後も日本の安寧を保ち、この国の要人を守って欲しい──。
そうした晴明の思いを継承し、安倍成道はこの国と要人を守り続けています。